MAJIRUSHI  MENBER'S ESSAY    法学部1999年度生 総合政策科学研究科2003年度生  浅田 啓太



shikaku    真山ゼミ活用実践記録



1.はじめに

 みなさんこんにちは。法学部1999年度生,大学院総政2003年度生の浅田啓太と申します。
 この度,栄誉あるIreneに拙エッセイを載せて頂けることを光栄に思います。
 私は今年度に大学院を修了まで,5年間に渡り真山ゼミにお世話になりました。と言うことは,2年生の時にゼミに入った時には当時4回生である1997年度生の先輩がいらっしゃ いましたし,今年度は TAとして2002年度生の3年ゼミに関わっていますので,6年度に渡 る方々とお付き合いをさせて頂いた事になります。もっとも,パーティー等を通して,それ以前の方にも多くの協力を仰いだ事は言うまでもありません。


2.志望動機

 私がゼミに入ったきっかけは,まさに1回生の時に受けた真山先生の地方自治の授業が明解であったことに感銘を受けました。今の政治学科は授業がお上手な先生が増えましたが,私の入学当初は先生方があまりにも優秀すぎるため,授業についていけない事を深く悩んでいまし た。しかし,真山先生はそんな私でもわかりやすく教えてくださるため,「地方自治ならがんばればなんとかなるかもしれない。ゼミもこの人のゼミがいい」と思うようになりました。
 こうして期待をもって入った真山ゼミでしたが,「地方自治を学びたい」という動機のほかに,もうひとつ重要な動機がありました。それは「楽しい大学生活を送りたい」という思いでした。と言うのは,同志社のような大きな大学ではなかなか自分の居場所を作る事ができず,ゼミが始まるまでは友達がひとけたしかいない状態でした。おデートをしている人,大勢の友達とワイワイと戯れている人,とにかく楽しそうにしている姿を見てうらやましく思っている状態でした。そんな出遅れた大学生活,「自分をアピールする」最後のチャンスがゼミと考えていました。だから,幹事をやったり,「フィールドワーク」を して,飲み会のお 店を選定するなど,大学と言う場所で,遺憾無く自分を出そうと試みていた事が懐かしく思い出されます。


3.1999年度生ゼミとの2年間

 前置きが長くなりましたが、私が現役(学部)時代にゼミに参加したのは、2000年度〜2002年度との2年半でした。最初のころは、縦コンなどで拝見した先輩方の楽しそうな姿が印象に残り、私もそれを目標にゼミ生活を行って生きたいと意気込んでいました。そうして、私たちの代では、3年ゼミの共同研究として「伝統産業の振興策」に取り組んでいました。あれこれ書くときりがないですが、ひとつ印象的なのは、3年次から4年次にかけて、ゼミ活動を継続するかしないかの決断を求められた時、学年の区切りだから活動も区切りをつけてもいいと思ったのですが、大多数が何とかして完成させたい意向を示し、就職活動中の4・5・6月に最終まとめをして、6月末のプレゼンテーションを完成させたこと。あのエネルギーはどうやって涵養されたんでしょう。2年後、私は就職活動しましたが、絶対に両立は大変なはずなのに…。そのような中で結ばれたゼミ生は、今でも強い絆があり、先生を誘っての「ゼミコン」が随時開かれています。


4.真山ゼミ延長戦…TA体験記  (1)模索とピンチ

 私の真山ゼミ人生は、大学院進学とともに、延長戦を迎えました。大学院では、大学院のゼミの他に、TAとして、つまり先輩としてゼミに関わるようになりました。私も2年半真山ゼミ生をやってきた経験が大いに生かされると思いました。…と思ったら、「ぜんぜん例年通りに行かない事態」が生じます。はじめてTAをした2002年度生の2年ゼミは、たった5名!!2年ゼミは、ディベートが慣例となっていますが、これでは厳しい状態です。何したらいいんだろう、でも、真山ゼミ特有の「勢い」は維持したいという気持ちがあり、真山先生といろいろ内容を考えあったことを思い出します。真山ゼミで過去にやらなかったことをたくさんやりました。たとえば、ノーマルな「ゼミ報告の練習」とか。他には「ワード活用術」だったり、「パワーポイント講座」だったり、はたまた、就職活動でよくある「グループディスカッション」をやってみたりとか。幸いにも、5名という人数の少なさは、閑散ではなく、「顔が見える」といういい方の側面が出ることになりました。私が始めてTAとして携わったゼミ。ぜひ彼らの卒業がみたい!そして・u栫A一生の友達になりたいと心から思っていました。
 しかし、「例年通りに行かない(深刻な)事態」が起こります。それは真山先生の政策学部移籍をめぐって、この学年のゼミが持ち上がらなくなるピンチが生じました。これには仕方ないと割り切れる面と、大事なネットワークのきっかけだから何とかできないかという思いの両面が交錯しました。先生からは、事は意外にややこしいことになっていることを聞きどうしようかと思いました。真山先生にも負担がかかるし、食って掛かるのは遠慮しようと思いましたが、私は教員免許保持者。それゆえ、特有のお節介性分が機能します。私は、TAをやっている時はあくまでも「教育補助者」であり、先生そのもの補助よりも、「教育の充実」という面に関心の重きがあります。そうして、中止になりかけた「ゼミ説明会」も強行開催させて、真山先生を半ば強引に納得に納得していただき、ゼミ存続を再考してもらったことを思い出します。あの時は若かったですよ。先生のお言葉を平気でひっくり返していましたから。


5.TA体験記  (2)オレンジデイズ

 結局、真山先生の政策学部移籍した、次年度(2004年度)も3年ゼミは開講されることになりました。そこには、昨年の倍以上の11名が集い、名実ともにゼミらしくなりました。そして、私も一緒にTAとして3年ゼミと活動できることになりました。この年は、ゼミの人数によく着目しました。11名……真山ゼミにしては少なめだなあと。その甲斐なのか、11名のみんなの中までよく知り合う、いわば人間らしい付き合いをしてきたなあと思いました。そのため、入りすぎてしまうと余計なことに首を突っ込んだと辛くなることもありますが、多くはなんだか、ドラマ「オレンジデイズ」のような日々でした。オレンジデイズって、学部生がいて、そしてゼミの先輩役の大学院生がいて、シチュレーションは就職活動中(私は2004年度でした)でしたから、まさに自分の今とそっくりだーと思いまして。(ごめんなさい、肝心なところでまともな説明になっていません)


6.むすびに

 という事で、4年半を振り返ってみますと、いろいろなことがありますねー。自分がゼミからいろいろなものを得ていたのを再確認いたしました。これには、親方真山先生のさまざまなご配慮と、真山先生を慕うすばらしいゼミ生のみなさん(私も??)があって、ここまでの充実感を得られるものであります。ゼミというのは、授業のひとつに過ぎませんが、自分、あるいは仲間しだいで無限の可能性を秘めています。そして、ばたばた動くだけでなく、時には、自分の家みたいにゆっくりと日常を忘れてくつろぐこともできます。我が家、真山ゼミといいたいところですが、もう出て行かなければならない時ですね。しかし、これからもゼミに助けていただき、ごくまれに自分のできることを提案して、終身真山ゼミ生で居たいかなと考えています。うまく筆を置けずして失礼しました。そして、ご精読ありがとうございます。


浅田啓太





 

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